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2007年 07月 19日
今では観光地として多くの人に親しまれている桜ヶ池であるが、この人「井口仁志」を抜きには歴史は語られない。
井口仁志(1875~1963) 明治8年(1875)10月、梅原(旧、北山田村)の豪農仁太郎の長男として生まれた。生来名利を求めず、明治34年東京専門学校(のち早稲田大学)を卒業するやただちに帰郷、北山田村産業組合設立に参画して初代組合長に就任し、組合の発展に尽くした。大正2年のころ画家菊池左馬太郎氏の示唆によって、松村謙三氏と協力して木工福光町(現、南砺市)の濫觴であるエム・アイ商会をつくり、木工玩具の製造を開始した。のち福光太平ドリン商会と改め、さらに大正13年、太平木工株式会社を創立、自ら取締役社長となって経営にあたり、玩具から運道具・紡績工具など種々の木工製作へと社業の発展につとめるとともに、福光木製品工業の基礎の確立をはかられた。また、早くから耕地の準備こそ農村発展の基盤であるとの信念から、その研究に没頭し、反対の意見はこれを説得して実施をはかった。中略 昭和15年8月立野ヵ原陸軍演習場の一角に一大貯水池を作ろうとする山田川沿岸耕地整理組合がその左岸流域部落の古嶋理作らによって結成された。氏は組合長に就任、その後山田川沿岸用水土地改良区と改称後も引き続き理事長として昭和29年まで草創の難にあたった。これらの地は古来山田川の水を灌漑水として利用してきたが、その流量は乏しく農民は恒常的な水不足に悩み続けてきた。藩政以降水争いに関する和順書の類は今も各部落の篋底に数多く蔵され、渇水期の苦難をまざまざと物語っているが、大貯水池「桜ヶ池」はこれを解消しょうという氏の熱意によって企画され推進されてきたものである。(旧、福光町史より) ときおり桜ヶ池の歴史を伝えます。
by s-jiu
| 2007-07-19 21:17
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