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2007年 12月 04日
「頼もしき助っ人たち」
国民勤労報国隊が作業に当たった昭和18年ごろ、頼もしい助っ人たちの一隊を組織して駆けつけたらしい。 昭和18年は、第2期工事の最中で、堰堤工事は、床掘りと築堤の工事。付属工事は通水菅工事に幹線導水路工事など行なっていた。 やってきた助っ人たちは、今日の大韓民国並びに朝鮮民主主義人民共和国(当時は大日本帝国の領土)の人々であった。 思いがけぬ助っ人の来援に、改良区役員は、寝具を用意して飯場に運んだ。 人力頼みの工事のこと。体力にすぐれ、団結力は堅く、そして勤勉であった彼らの労働は、地獄で仏に会ったが如きであったろう。 井口仁志氏は後に次のように回想している。 当時我国の青壮年は軍隊に入って、軍人は要領を似って本分とすべしとの教訓の取違えたる受け取り方の思想に毒せられて、外面の形式さえ整えば、内容精神は問うの用なしとの悪弊をみせびらかす 傾向にあった。それ故どうしても仕事に精神が入らないから、当然仕事も粗雑になって成績が挙がらないという傾向である。 しかるにこの人たちは此の傾向が少ない。体力も優れている。これが仕事の成績に影響するのである。 当時当工事のみならず、全国各工事場の勤労成績は皆人の認めるところであった。と回想してある。 (桜ヶ池50周年記念誌)より
by s-jiu
| 2007-12-04 21:36
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